更新がないときはこちらをどうぞ。ただのボヤきですが。 https://twitter.com/Gustnotch1999

劇場版魔法少女まどか☆マギカ

 ひっそりと劇場版魔法少女まどか☆マギカ見に行ってました。前後編とも。
 証拠写真です。
 


 テレビ放映時と併せてこの劇場版で2周目で、このアニメに対する理解度がそれなりに進んだような気がします。理解度が進んだ分溢れ出る虚しさを押さえきれないので突っ込みを羅列してみます。


 批評なんか見たくないという人はすぐ引き返しましょう。














































 どんな願いも叶えてあげられるというなら、因果律の蓄積は関係ないはずじゃ?


 最強の魔法少女になって、最強の敵を打ち倒したら、あとは最悪の魔女になるしかないという理屈がよく判らない。説明を省いているのか?
 ならラスボスであるところのワルプル野郎を仕留めるのに全魔法力を放出したと考えて、その上魔法力を回復するのに必要なグリーフシードも一つも残っていないと考えよう。
 ほむらが並行世界へジャンプするごとに因果律の蓄積で魔法力が上昇するというなら、更なるジャンプを繰り返せば、全力を使わずともワルプルをひねり潰せるようになって、しかも魔女化しないで済む結果にたどり着けるのでは?


 ほむらの能力が並行世界のへのジャンプとそれに伴う因果律の集束&蓄積だというなら、それが当のほむらではなくまどかだけに適用される意味は?
 並行世界へジャンプした場合、ジャンプ先に元々いたはずのほむらとの関係は?性格や人生の齟齬は?


 魔法力を使い果たして魔女化する直前のまどかを、ほむらが止めを刺す意味は?


 何故時間を巻き戻す能力ではなく、並行世界へのジャンプ能力としたのか。これでは単に自分に都合のいい世界を求めて、逃げ回っているだけじゃないのか?


 最後にまどかが人身御供にされる意味は?
 魔法少女システムの特性を考えれば、QBと契約した時点で即願いは叶えられて、まどか自身もめでたく魔女化することのない魔法少女になるだけの話で、概念化したまどか自身が他の魔法少女を救済に行く必要はないのでは?


 希望と絶望のバランスは差引ゼロなんて言うなら、何故希望を叶えた後はぶっちぎりの絶望しか待っていないのか。
 幼なじみの男の子の、治る見込みのない腕を治したぐらいで命まで落とさなきゃならなくなるというのは如何にも帳尻が合わないだろう。せいぜい腕一本差し出すのがいいところで。どうみてもマイナスです本当にありがとうございました。


 結局の所最後に残った並行世界でさえも、仮に失敗したら見捨てられる世界の一つでしかないわけで、マミさやか杏子の死なんて描いてきた意味がまったくないのでは?


 と、考えれば考えるほどストレスはたまる一方で、映画を見終えた後も疲労感しか残らない感じでした。


 とは言え、来年公開されるらしい続編にも一応付き合うつもりです。
 ここまで見てしまった以上最後まで付き合わないとしこりが残りますからね。


 ふーすっきりした。