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大橋勇武が好きだった。

 日本のフュージョンシーンで活躍していたギタリスト、大橋勇、大橋イサム、あるいは大橋勇武(読み方は全部おおはしいさむ)という人が先日突然現世から旅立ってしまわれました。

 先週の日曜日の夕方、あらかじめ決まっていた他の予定を余所に置いておいて、お別れ会に参列してきました。

 4月20日の朝、訃報のツイートを目にしてからもうずっと彼のギターのことばかりを考えています。ここ10年ぐらい遠ざかっていましたが、彼の色気のある美しいリードプレイは今でも自分の中に生きていることを思い知らされました。

 最初に知ったのは、1992年タモリの音楽は世界だ!伊東たけし出演回のバックバンドギタリストとして。長髪ハードロックなルックスのアニキが短いながらも素晴らしいソロを弾いていました。今でもYouTubeで見られます。「伊東たけし marbles」でぐぐれ。

 次に知ったのは、1993年F1日本グランプリ前夜祭のテレビ放映で、T-SQUAREの面々をバックに従えた堂々たるソロギタリストとして。このアニキ見覚えあるぞ…!と前述の伊東たけしの録画を見直してやっぱり!となりました。今でもYouTubeで見られます。「Battle for the Championship」「Power Game 大橋勇」でぐぐれ。

 上記2曲は当時F1ブームに推されて発売されたコンピレーションアルバム「IMAGES -FORMURA 1 WORLD CHAMPIONSHIP-」に収録されています。廃盤につき中古でしか入手できません。

 翌年1994年、F1ドライバーアイルトン・セナがレース中の事故で他界し、F1と関係の深かったT-SQUAREから追悼アルバムが発売されました。「T-SQUARE and FRIENDS SOLITUDE」今でも買えます。「SALAMANDER」という故・和泉宏隆の曲で色艶めくリードプレイを披露しています。

 1997年、須藤満のライブアルバム「FAVOR OF MY FRIENDS」が発売されました。全曲で弾いています。「SUCCESS MOON」は彼の曲です。今でも買えます。

 1998年、遂にソロ名義のライブアルバム、大橋イサム「NO EDIT」が発売されました。当然全曲弾いています。曲数少ないですがインプロヴィゼーションだらけで演奏時間長めです。六本木ピットイン在りし頃、何度も彼のライブに足を運びましたが、まさに毎回こんな感じのステージでした。現在入手困難です。

 1999年、日本のスタジオシーンやジャズフュージョンシーンで活躍しているギタリスト達のオムニバスアルバム「SUPER GUITARISTS」に氏の曲「Scape Goat」が収録されています。ライブ終盤で演奏されることが多かった名曲です。「isamu ohashi scape goat」でぐぐれ。

 彼の活動に関しては松岡直也グループのギタリストとしてのキャリアが長いので、今から知ろうとするならそちらの方がてっとり早いかも知れません(松岡直也に関しては自分は追いきれてない)。

 

 彼の訃報に接し、関係者のツイートやブログを見る限りではここ20年ぐらいは健康を害していたらしいこと、無茶な飲酒を繰り返し依存症に陥っていたらしいこと、そのせいでプレイにも影響を及ぼし活動の場が縮小していたことなどが判りました。

 自分自身も10年前のブログでプレイにキレが無くなってきたな?と言及していました。今はもう見られない彼のウェブサイトでの日記を見る限り大分不摂生な生活をしていたらしいことは伺いしれたし、活動していたバンドもアルバムを出すと宣言していたにも関わらず消滅してたりもしたので、なんとなく察してはいました。

 

 訃報の案内ではお通夜と聞いていましたが、現地でお別れ会であり献花面会があることを知りました。

 お別れ会では彼は愛用のツールと共にありました。トレードマークのValleyArtsギターは柩のすぐ側に飾られていました。

 https://twitter.com/Isao1229/status/1650107211052642304

 享年55歳。いくらなんでも早すぎるでしょう。先輩ギタリスト達もまだまだ元気な人いっぱいいるのに。

 健康にさえ気をつけていれば活動の場をもっと広げられた可能性もあったかも知れなかったのに。

 それでもあなたというギタリストがいた事は生涯忘れません。

 さよなら大橋イサム。多分一番好きだったギタリスト。